2022年9月23日金曜日

2023年初頭~2025年12月以降の「様変わり」への覚悟 ー 改善はその時が来てからでは遅い。意識の改革をともなわない、変容もあり得る


2023年初頭~2025年12月以降の「様変わり」への覚悟 

ー 改善、改革はその時が来てからではもう遅い。

意識の改革をともなわない、自己変容も起こりえます。


意識の改革にも、それが善い実を結ぶ「時期」というものがあり、

その機会に何もしなければ、実を結ぶことができない、ことが、

人間にはあります。なぜなら、周囲の環境という、二度ともどれない「有限の時間」

という条件下で、さらに人間は、「有限の肉体」をもっているからです。


チャンスに、改善に、不備に、警告に、気づけるのなら誰も苦労しません。

でも気づいたときにもう遅いということが、人間にあるだけでなく、

「いつまでも気づけない」、ということも人間にはある、

ことも知っておかなくてはなりません。

意識の向上というのは、簡単なことではない、といえるでしょう。

2022年秋分の日 9/22あけの10/9以降(冥王星逆行の終了以降)、またそれ前後から、

既存の状態が、あたりまえだと思っていたことが、

少しずつですが、書き換えられてしまう発端となる危険性があります。

それが良い方向であることを願うばかりですが、

これは、ほうっておくと、傍観したままでいると、

「あれ、すっかり、何かが変わってしまった」とある日、気づくときが来ます。


今現在の、自分の感覚で、何か変化にたいして、

それが不完全なもの、善きことでなかったばあいは、

早めに、修正の決断がひつようです。

太陽神アポロンを引く「日輪の馬車」

正確には、2023年に始まり、2024年に入ってからは変化がはっきりと誰の目にもわかるようになり、

そして2025の12月以降、もう「すべて変化は完了した」という

新しい既成事実、パラダイムが、世界に、環境、社会に、

そして人間の身体、心、生活に生じてくることが

占星術からは読み取れます。


それまでの約2-3年の間、あっと驚くような出来事が自分の内外で

つぎつぎに身の回りに起き、

それを傍観者として、またもとに戻るだろう、大丈夫だろうと

楽観視して、その都度に「何も対処」しなければ、

その日和見的な、無為無策は、積み上げられて、自分の環境は、それ相応の結果を生み出します。

つまり、

自分のパーソナリティ、身体、健康、経済生活、企業、制度、社会常識、儀礼、ルール、などがもう、既成事実となり、後戻りできなくなるということ、

その時期は近い将来に、ということです。


その改善、改革の期間は、時間はそう長くのこされているわけではないのです。


あと3年近くもあるのだから、と悠長に構えていると、

人のこころ、身体、物、制度、お金の流れは、少しずつ変わり、それが習慣になると、

行動パターンとなり、自我パーソナリティに蓄積して、それが意識を形成し、現実を形成し、一度変わるとなかなか戻れなくなります。

ぼうっとしている間に、新しい現実が積み重ねられていくので、意識はそれに追随し、

運の風向きがかわってしまって、それに気づけない、気づかなかなくなってしまうのです。

もう、これでいいや、という自分の中でのあきらめ、

これ以上は無理、という外部からの束縛、それが現実には起き得ることです。

2025年12月以降の「様変わり」への覚悟

そこへ向かって、次々に試練、問題に、正しい取り組みが必要

2020年から起きている問題を繰り替えすことによって、

それへの対処行動、防衛策をよく考えなければ、賢明な策でなければ、

2023~2025以降、

新しい基軸として、社会政策、企業政策、人のマインド、自分の生活習慣として

打ち立てられることになりそうです。

それが善きことであるように・・・

問題の再現、再発を繰り返すような策にならいように・・・

願うばかりです。



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